カテゴリー:よのなか

AIの時代の到来と介護の関係

そもそも、最近よく聞く人工知能って何なのでしょう?
正式名称をArtificial(人工的な)・Intelligence(知能・思考力)と言います。これを略してAIと呼んでいます。
もう少し分かりやすく言うと、人工知能とは、従来のコンピューターでは出来なかった、

  • 人の日常で普通に使用される言葉を理解する
  • 論理的に推測して結論を導き出すことができ
  • 自らの経験を学習して、尚それを応用できる

というタイプのコンピュータープログラムのことです。要は、コンピューターが人が使う言葉を理解して、答えを推測して、何かのアクションを実行することが出来る。という事で、これが今急速な進歩を遂げ、私たちの生活に大きな変化をもたらそうとしています。

AIが進歩することで、今人が行っている仕事の内、単純な労働といわれるものは、AIに置き換わっていくものと考えられています。この事は、二つの側面を持っています。一つは、人が単純作業から解放され、より自由で創造的な時間を手に入れることが出来る可能性が広がるという事。もう一つはAIにより今の仕事を奪われてしまうかもしれないという恐怖です。
実際、車の自動運転が進めば、バスやタクシーの運転手は、仕事が激減するかもしれないですし、コンビニやスーパーなどでも、無人化の店舗がすでに運用が始まっています。(これは、お客が、店舗で買い物をするときに、商品を手に取り、カバンなどに入れるだけで、店舗を出るときに即時決済が行われるというものです)このような例は今後ますます増えてきます。
さて、この来るべき時代を、悲観するのか、楽観するのか。
在宅サービスの世界でも、AIの活用が始まっています。お片付けのロボットや、お掃除のロボットなど、より精度の高い商品が開発されると、在宅生活の支援となり得ますし、コミュニケーションが取れるロボットなどは介護現場で活用される場面も増えてきています。今のところ、介護の現場は、どうしてもマンパワーに頼らなければ、動いていかない側面が強いのですが、日本の人口構成が変わっていく中、安定的に労働力を確保することは不可能に近いのではないかとも感じています。そのような状況の中で、もし、AIの機能が飛躍的に進歩し、社会の労働環境の革命と呼ばれるようなものが起こった時、介護の現場が、労働力の流動の中、新しい選択肢として、選ばれる時代が来るのではないかと、ひそかに期待しています。もちろん、介護サービスもAIや機械化が進み、本当に専門職として取り組むべき課題に特化して取り組めることが出来るような状況が生まれていることを想定しているのですが・・・どちらにしても今が時代の大きな変わり目なのでないかと考えています。そんな時代に生きていることに感謝し私自身はAIの進歩に身をゆだねて、その先がどうなっていくのか、心の底から楽しみます。その先に、もし暗黒の時代があったとしても、その時こそ、AIではなく、人として存在意義が問われるのではないかと考えます。


さいとうのひとりごと

今年は、例年より10日ほど遅れたようですが、ようやく梅が咲きました。春はもうそこまでやってきています。そんな晴れ晴れとした季節の訪れですが、なかなか社会の状況は晴れ晴れとしないようです。滋賀県でもコロナが猛威を振るっています。またあしたの各施設でも、スタッフは施設内だけではなく日常生活の中でも、感染予防に神経をすり減らしています。しかし、残念ながら、日々の営みを継続していく中で、人と人との接触を完全に防ぐこともできず、当然ながら感染予防にも限界があります。特に、子供たちから広がる家庭内感染を防ぐことはかなり困難です。滋賀県内の感染者数についても、今のところ高止まりしており、先が見通せない状況です。事業の運営についても、コロナが長期化する中で徐々に影響が出ており、今後の動向を今注視しています。コロナとの共存を主張する論調も多くなってはいますが、高齢者が重症化する割合を考慮するなら、数多く安価で流通する治療薬が開発されていない現段階では時期尚早ではないかと考えています。その一方で、今の状態が長引けば長引くほど、ボディーブローのように事業の運営や見通しに厳しい影響を与えてきます。状況によっては最悪の事態も想定に入れながら、今は目の前に降りかかってくる、想定以上の状況と向き合わざるを得ません。
今しばらく終わりは見えませんが、日々懸命にコロナと戦うスタッフ達と共にご利用いただく皆様に安心してご利用いただけるように、日々積み重ねていきます。


最近考えている事 新しい仲間との価値のすり合わせって難しい・・・・

人は、育った環境や、時代、性別、信仰するものや、人種によっても、考え方には大きな隔たりが生まれます。
新しいスタッフが加わるとき、必ずこの点に配慮しなければ、いけないのですが、これがなかなかうまくいきません。
以前からいるスタッフは、自分たちの行動や、考え方に、一定の確信をもって、仕事に臨んでおいます。一方、新しいスタッフも、自分の今までの経験や、価値感の中で、正しいと思う選択をします。このお互いの価値観が近似であれば、そう問題はないのですが、これは今までの経験の中でほとんどありませんでした。
問題なのは、この時、価値観のすり合わせが上手くいかないとき、多数と少数という関係性の中、新しいスタッフが孤立感を抱き、すごく居心地の悪い環境となってしまう事です。
それは本当に不幸なことで、そうならないように、何が出来るのかをいつも考えます。
そもそも、人は何故、自分の大切にしてきた価値観を守ろうとするのでしょう。自己防衛のためでしょうか、それとも、人とはそういう生き物なのでしょうか?
私自身にも、信じているものや、大切にした価値観はあります。でも。正直、それが一番大切だと思ったことはありません。分かってほしいとは思いますが、違った人生を歩んできた他者が、同じ価値観を共有するなんてことは、ほとんど奇跡だという事を知っているからです。
他者は違う、違うから面白い、違う価値観が入る事で、変化する。その変化で新しい何かを見つけることが出来るかもしれない。
そんなわくわくした気持ちを持ってもらえれば・・・・・
でも、そこが難しく、なかなか分かってもらえない。街の片隅にある小さなデイサービスの話ですが、この道は、世界中で起こっている。保護主義の考え方や、ナチズム、宗教や人種間の対立に続いているのです。
『汝の隣人を愛せ』
いにしえの人はいいこと言います!


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