人は、育った環境や、時代、性別、信仰するものや、人種によっても、考え方には大きな隔たりが生まれます。
新しいスタッフが加わるとき、必ずこの点に配慮しなければ、いけないのですが、これがなかなかうまくいきません。
以前からいるスタッフは、自分たちの行動や、考え方に、一定の確信をもって、仕事に臨んでおいます。一方、新しいスタッフも、自分の今までの経験や、価値感の中で、正しいと思う選択をします。このお互いの価値観が近似であれば、そう問題はないのですが、これは今までの経験の中でほとんどありませんでした。
問題なのは、この時、価値観のすり合わせが上手くいかないとき、多数と少数という関係性の中、新しいスタッフが孤立感を抱き、すごく居心地の悪い環境となってしまう事です。
それは本当に不幸なことで、そうならないように、何が出来るのかをいつも考えます。
そもそも、人は何故、自分の大切にしてきた価値観を守ろうとするのでしょう。自己防衛のためでしょうか、それとも、人とはそういう生き物なのでしょうか?
私自身にも、信じているものや、大切にした価値観はあります。でも。正直、それが一番大切だと思ったことはありません。分かってほしいとは思いますが、違った人生を歩んできた他者が、同じ価値観を共有するなんてことは、ほとんど奇跡だという事を知っているからです。
他者は違う、違うから面白い、違う価値観が入る事で、変化する。その変化で新しい何かを見つけることが出来るかもしれない。
そんなわくわくした気持ちを持ってもらえれば・・・・・
でも、そこが難しく、なかなか分かってもらえない。街の片隅にある小さなデイサービスの話ですが、この道は、世界中で起こっている。保護主義の考え方や、ナチズム、宗教や人種間の対立に続いているのです。
『汝の隣人を愛せ』
いにしえの人はいいこと言います!
カテゴリー:よのなか
やりたいことを守りたい・・・・
またあしたで行っている今のサービスの質を維持し、もっといいものにしたい、今までその事だけを考え走ってきました。
道半ばです。正直一ミリも近づいていなんじゃないかと落ち込みます。
高齢者の皆さんの在宅での生活を支えたいと、プライドを持って運営してきました。ただ、介護の仕事に対する社会の評価は低く、最も選ばれない職種となってしまいました。歯がゆく、悔しいです。こんなに素晴らしい仕事はないのに、こんなにやりがいがある仕事はないのに。もちろん多くの問題があることは自覚しています。それでも、希望をもってやりがいをもってこの仕事を選ぶ人が増えないことには、手も足も出ません。もっと魅力手な職場となり、多くの介護に携わる方にとって、一度働いてみたいと思えるような場所に変わらなければ、未来につなぐことは難しいと感じています。
最近考えている事 価値観を共有する って? 必要なの?
施設を運営していると、価値観とか理念とか思い、とか・・・とか・・よく耳にする。
正直、ピンと来ない・・・・っていうか・・・なんか違和感がある。
そもそも、価値観なんていうのは、個々人の思い込みなんじゃなかかと思っちゃうんだ
でも、そのこと自体が問題ではないんだ
その価値観という個々人が何故か生きる指針にしているような得体のしれないものを
他者に強制しようとするところからボタンの掛け違いが起こるような気がするんだ
かくいう私にも、変なこだわりがある。それは確かだ、
もしかしたら、それは価値観なのかもしれない
そんな面倒くさい価値観に対して、私自身は、いつも折り合いをつけている
だって、そうでしょ
大体、身近にいる家族でさえ、こだわりが違うし、奥さんなんか特にそう
でもこれは、ただ、我慢しているというのとは訳が違うんだ
どうするかっていうと・・・はなから、違う人だな、って、思うように訓練してるんだ。
それでも、本当に相いれない事が起こり、問題が先鋭化することもある。
ただ、相手を他者と理解し、同時代を生きる、価値ある人だと、考える事で
過ぎていく時間が、頭を冷静にし、問題を整理し、受け入れがたいと思っていた事柄を
簡単なことのように、思わせてくれる。
価値観や宗教観、人種や肌の色、相手を排除できる理由は山ほど作れる
でも、多くの場合は、私自身の心の不寛容さが、自信の心を固くしているように思う。
私は、この仕事をする上で、やはり、何か意味は必要だと思っている。
それを価値観というのかもしれない。
ただ、100人いれば100の価値観があり、
それぞれの価値観を完全に認めあえる
それは、共有するというではなく、価値や理念、思いの林立させる、っていうイメージ
そんな空間が『またあした』で作れれば、本当にハッピーだと思っているだが・・・
ダメかな???