カテゴリー:よのなか

やっと 対策がはじまった アンガーマネジメント(怒りのコントロール)

高齢化が進むわが国では、介護保険制度などのサービスの整備が進む一方で、家庭や介護施設における身体的な暴力、介護や世話の放棄、暴言などの心理的虐待、不当な財産の処分などの経済的な虐待、といった虐待が社会的な問題となっています。

そのような状況から、2006(平成18)年4月に高齢者虐待防止法が施行されました。この法律によって、毎年全国の虐待の通報と虐待と判断された件数、そして対応状況について報告され、その件数がまとめられるようになり、先月、厚生労働省から2016(平成28)年度の調査結果が公表されました。高齢者を世話している家族、親族、同居人などの養護者による虐待の相談・通報件数は27,940件、そのうち虐待と判断された件数は16,384件でした。介護老人福祉施設など養介護施設または居宅サービス事業など養介護事業の業務に従事する者による虐待については、相談・通報件数1,723件、虐待判断件数452件でした。経年の推移をみると増加傾向ですが、これが果たして多いとみるか少ないとみるかは、判断がつきません。これは市町村へ相談・通報が寄せられて対応された件数ですから、見えないところで苦しんでいる人がもっと大勢いるかもしれません。

養護者による虐待が発生した要因は、回答の多い順に虐待者(虐待をした人)の介護疲れ・介護ストレス、虐待者の障害・疾病、経済的困窮、被虐待者の認知症の症状、虐待者の性格や人格、被虐待者と虐待者の人間関係と続きます。家族を介護することは、体力的にも精神的にも大きな負担です。時間も気持ちにも余裕がなくなり、介護者自身の健康バランスを崩してしまうこともあります。介護の出費ばかりか介護のために離職となれば経済面での心配も出てきます。はじめから自分の親や家族を虐待したいと思って介護している人などいるはずがないのです。

高齢者虐待防止法の正式名称は「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」です。虐待をしてはいけないという監視にとどまらず、高齢者虐待の背景には家族の介護疲れなどがあることを踏まえ、介護負担の軽減や相談支援なども含まれています。

▽厚生労働省:平成28年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000196989.html別ウインドウで開きます

先の調査結果を受けて、先週3月28日に厚生労働省老健局から各都道府県に高齢者虐待への対応の強化に関する通知が出ました。そのなかに、虐待の要因を軽減するための有効な取り組みとして、養護者および養介護施設従事者等への怒りの感情のコントロールを含むストレスマネジメント等についての普及啓発が挙げられていました。施設従事者による虐待の要因には「職員のストレスや感情コントロールの問題」が毎年上位にあがっており、介護職向けの研修は多く行われていますが、今年の通知では家族を介護している養護者へ怒りの感情のコントロールやストレスマネジメントをサポートしていくという内容が明記されました。とはいえ、職員向けの研修とは違って、いま介護のただ中にいる人に研修をというのも現実的には難しく、情報を得られなかったりします。いかに正しい、最新の情報をお届けするのか、難しい課題です。
(朝日新聞デジタル)引用


徘徊と呼ばないで!! → 道に迷われる

 

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 認知症の人が一人で外出したり、道に迷ったりすることを「徘徊(はいかい)」と呼んできた。だが認知症の本人からその呼び方をやめてほしいという声があがり、自治体などで「徘徊」を使わない動きが広がっている。

「目的もなく、うろうろと歩きまわること」(大辞林)、「どこともなく歩きまわること」(広辞苑)。辞書に載る「徘徊」の一般的な説明だ。

東京都町田市で活動する「認知症とともに歩む人・本人会議」メンバーで認知症の初期と診断されている生川(いくかわ)幹雄さん(68)は「徘徊と呼ばれるのは受け入れられない」と話す。散歩中に自分がどこにいるのか分からなくなった経験があるが、「私は散歩という目的があって出かけた。道がわからず怖かったが、家に帰らなければと意識していた。徘徊ではないと思う」。

認知症の本人が政策提言などに取り組む「日本認知症本人ワーキンググループ」は、2016年に公表した「本人からの提案」で、「私たちは、自分なりの理由や目的があって外に出かける」などと訴えた。

代表理事は「『徘徊』という言葉で行動を表現する限り、認知症の人は困った人たちという深層心理から抜け出せず、本人の視点や尊厳を大切にする社会にたどり着けない」と話す。

こうした意見を受け、一部自治体が見直しに動く。福岡県大牟田市は、認知症の人の事故や行方不明を防ぐ訓練の名称から「徘徊」を外し、15年から「認知症SOSネットワーク模擬訓練」として実施する。スローガンも「安心して徘徊できるまち」から「安心して外出できるまち」に変え、「道に迷っている」などと言い換えている。

兵庫県は、16年に作成した見守り・SOSネットワーク構築の「手引き」で、「徘徊」を使わないと明記、県内市町にも研修などで呼びかける。名古屋市の瑞穂区東部・西部いきいき支援センターは、14年に作成した啓発冊子のタイトルを「認知症『ひとり歩き』さぽーとBOOK」とした。「いいあるき」という新語を使うのは東京都国立市。「迷ってもいい、安心できる心地よい歩き」という意味を込め、16年から始めた模擬訓練で用いている。

厚生労働省は、使用制限などの明確な取り決めはないものの、「『徘徊』と言われている認知症の人の行動については、無目的に歩いているわけではないと理解している。当事者の意見をふまえ、新たな文書や行政説明などでは使わないようにしている」(認知症施策推進室)とする。

推計では、認知症高齢者の数は15年時点で500万人を超す。25年には約700万人に達すると見込まれている。
(朝日新聞デジタル全文引用)


認知症になって 医師・長谷川和夫さんへのインタビュー

かつて、「痴呆(ちほう)」と呼ばれて偏見が強かった認知症と、私たちはどう向き合えばいいのか。長谷川和夫さんは半世紀にわたり、専門医として診断の普及などに努めながら、「認知症になっても心は生きている」と、安心して暮らせる社会をめざしてきた。89歳の今、自身もその一人だと公表し、老いという旅路を歩んでいる。

――自身の認知症を疑ったきっかけは、どんなことでしたか。

「これはおかしい、と気づいたのは1年くらい前かな。自分が体験したことに、確かさがなくなった。たとえば、散歩に出かけ、『かぎを閉め忘れたんじゃないか』と、いっぺん確かめに戻る。確かに大丈夫だ。普通はそれでおしまい。でも、その確認したことがはっきりしない。そして、また戻ることもあって」

――昨年11月に病院に行き、診断を受けたそうですね。

「弟子が院長をしている専門病院に、家内と行ったんだ。MRIや心理テストを受けたら『嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症』っていう診断がついた。物忘れ以上のものを自覚していたから、あー、やっぱり、と。戸惑いはなかった」

――初めて聞く名前です。

「このタイプは物忘れや頑固になるといった症状が出るが、進行は遅い。昔より多少イライラする頻度が増えたかな」

「認知症になるリスクは、年を重ねるごとに高まる。長寿化に伴って、僕のように80歳、90歳を過ぎてからなる人は増えていく。これを『晩発性認知症』という、一つのカテゴリーだと唱えている。100歳でも全然ならないピカピカの人もいると思うんだ。それはエリートだな、ごくわずかの」

――公表することに、ためらいや迷いはなかったですか。

「いやいや。僕が専門医であることは知られていて、その僕が告白して講演などで体験を伝えれば、普通に生活しているとわかってもらえる。認知症は暮らしの障害で、暮らしがうまくいくかどうかがいちばん大事。僕の話から多くの人が理解してくれれば、認知症の人の環境にもプラスになる」

――今は、1日をどのように過ごしていますか。

「朝6時半ごろに起きて、朝昼晩の食事。その間に散歩したり、図書館や近所のコーヒー店に行ったりする。今日が何月何日なのか、時間がどれくらい経過したかがはっきりしないけれど、不便だと感じることはあまりない。夫婦2人だけの生活で、やるべきことは毎日ほぼ同じだからね」

――医師として働いていたときには思いもしなかった発見は、何かありますか。

「『デイサービスに行った方がいいですよ』と患者さんに言っていたのに、今度は自分が行くことになった。昨年6月に転んで骨折してから週1回通っているが、学ぶことが多いね。午前中に入浴があって、スタッフが体を洗ってお風呂に入れてくれる。いかにスタッフが訓練を受けて、一人ひとりの利用者の情報を持っているかがケアでは大事なのか、その言葉やしぐさからわかる。自分の体を通して、勉強している」

――振り返って、患者さんに「ああしておけば良かった」という思いはありますか。

「ある男性の診察をひと通り終えたとき、僕に一つ聞きたいと言ってきたことがある。『先生、どうして私は認知症になったんですか。他の人ではなく、どうして私なのでしょうか』。切羽詰まった感じで、何と答えたらいいか、わからなかった。何も答えられなくて、その人の手を握って。目を見つめて、そうだよね、と言った。今はより、彼の気持ちが、あの質問の思いがわかる。それでも同じことしかできないと思う。だって、神様ではないから。答えなんて、わからないよ」

――現役時代に開発した、九つの質問で測る簡易診断テストの「長谷川式認知症スケール」=キーワード=は、広く臨床の場で用いられてきました。

「元々は、てんかんの診療をしていたが、1960年代に東京都内の老人ホームの利用者を対象にした健康調査を任され、初めて認知症の人の診断をした。上司から、誰が調べても診断が一致するような『ものさし』をつくりなさい、と言われて考えた」

――誰が検査しても、ほぼ同じような診断結果が出るのが、特徴です。

「困ったな、と思うこともある。安易に使われすぎて、本人の気持ちを考えずに検査をする医者がいる。質問で『お年はいくつですか』と、のっけから大事な個人情報を聞く。それからいい大人に『100から7を引くと、いくつですか』とも尋ねる。『冗談じゃない、何を言っているんだ』と怒るのは当然でしょう。診察に必要だからと、医者の側が本人と家族に協力をお願いする姿勢が、必要なんだ」

――介護保険制度が始まる20年近く前に、認知症の人が集まって日中を過ごす「デイケア」も始めました。当時は画期的な取り組みでした。

「やむを得ず取った策とも言える。長谷川式を発表したこともあって、多くの患者さんが外来に集まってくるようになった。本人も家族も、色々と聞きたい。たとえば『もう80歳を超えていますから、田舎に帰って1泊か2泊して、近所の人に会って別れを告げてきたい。でも、環境が変わると症状がひどくなるという話もありますけれど、大丈夫でしょうか』と。大勢がひしめくなかで、そんな長い話をしたら大変でしょう」

「これは困ると思って、看護師にデイケアをやってみようと思う、と相談したら、二つ返事で引き受けてくれた。外来の延長線上でデイケアを始めた。歌を歌ったり、ゲームや座談会をしたり。その様子を、一方からだけ見える鏡を使って、隣の部屋から家族に見てもらうこともできた」

――医師として認知症にかかわり始めてから、50年が過ぎました。「痴呆」の名称変更を要望し、国に働きかけましたね。

「2004年まで、『痴呆』と呼ばれていた。差別的な表現で、何もわからなくなる、というイメージでとらえられてしまう。痴呆になるのは恥ずかしいことだという偏見から、早期発見や診断を妨げている原因にもなっていた。昔、調査で首都圏の郊外に行ったら、納屋のような所に隔離されていた人を目の当たりにした。かぎもかけられ、隣は馬小屋だった。隠す存在という、ひどい時代もあった」

――社会は、変わりましたか。

「まだまだ不十分だけれども、10~20年前に比べたら知識は著しく広がった。『認知症の人と家族の会』の功績は大きい。国に対して提言する力を持つようになった。全国に支部があり、国や地方自治体に声を上げているから、もう無視できない」

――「認知症になっても心は生きている」と言い続けてきましたね。「心は生きている」とは、どういうことでしょうか。

「『特別な病気になった何にもわからない人、だからなんとかしてあげないとかわいそうだ』。それは、だめだよ。自分と同じ『人』だということ。根本的な治療がないのは知っているが、それ以上のことは多くの人が知らない。なんていうのかな、周囲は本人に尋ねることはしても、本当にその人の話を聞いていることは少ないように思う。確かに、できないことは増えていくけれど」

「何も話さなくなるかもしれない。ご飯を食べなかったり、暴れたりするかもしれない。その時も『大丈夫よ』と言って、その人が好きなものを尊重する。同じ目線の高さになって、ね。得意なことを生かして、その人に役割を持たせることも大事。人という漢字は、人と人が支え合ってできている。それが『パーソン・センタード・ケア』だ」

――当事者や家族が暮らしやすい社会とは、どんな社会ですか。

「観念的になるかもしれないけれど、ぬくもりや人と人との絆がある社会。たとえば、おいしい梨が届いたら、隣近所に分ける。今度は、うちに柿が届いたからあげましょう、といった交流があるような。少しずつでもいいから、広がっていけばいいね」

「一気にバラ色をつくるのは難しい。一人ひとりに考えが染み渡り、努力してつくるより道はない。まじめに、地味に、やっていく。それは僕も心がけている」

――でも、診断を受け入れられない人もいるのでは。

「希望は捨てない。今は暗く、つらいかもしれないけれど、明日は明るくなる。そう念願して欲しい。当事者からの発信も、最近は増えている。本人が発信することで、『隠すことはない』『年を取ったら誰でもなるんだな』と皆が考えるようになれば、社会の認識は変わる」

――これから、どう生きていこうと考えていますか。

「人生の色々なことを体験して、最後の段階に来た。老いることは、死に近づいてきたこと。この世に生きている間は、講演に限らず、自分ができて、他の人の役に立つことをやり続けていきたい」

全文引用朝日新聞デジタル