カテゴリー:よのなか

「生活援助」ヘルパー 研修時間は現行の半分以下に・・・・だいじょうぶかぁ?

厚生労働省は新年度から導入する訪問介護の「生活援助」に特化したヘルパーの養成制度について、研修時間を59時間にする方針を決めた。通常のヘルパー研修時間から半分以下に短くなる。深刻な介護人材不足に対応するため、退職者や子育てを終えた人などが業界に入ってくる際のハードルを下げる狙いがある。

現在、訪問介護を担っているのは介護福祉士か、ヘルパーになる際に義務づけられる130時間の「介護職員初任者研修」の修了者だ。厚労省は役割分担を進めるため、130時間の研修を終えたヘルパーには専門性がより高い排泄(はいせつ)介助などの「身体介護」を重点的に担ってもらい、新研修制度の修了者には掃除や調理など「生活援助」を担当してもらう方針だ。

研修時間のうち24時間は「生活支援技術」として、効率的な調理法などを講義や通信講座、実習を通じて学ぶ。その他、認知症に関する理解(9時間)、介護の倫理など(4時間)、緊急時の対応(2時間)などを科目に盛り込んだ。

生活援助を担うヘルパーの報酬は、新年度の介護報酬改定で微減となることが決まっている。研修は、ヘルパー養成校や研修を請け負っている介護施設運営事業者が行う。
(引用・朝日新聞デジタル)
という事だが、生活援助といえども、対人援助、そんなに短い時間で本当に援助できるようになるのか?特に認知症に対する研修の9時間は短すぎる。役に立たないよ・・・
また、簡単にできるという事から、モラルの低下が起こり、トラブルが頻発するのではないか、特に金銭についての・・・

とにかく本当に怖い、今回の国の方針は人が居ないから、専門性は放棄し、間口を広げ何とかしようという付け焼刃。そうではなくて、その仕事につきたくなるような、報酬体系を実現し、人を増やす努力をしないと、今頑張っている人たちからも愛想を尽かされ、日本中で介護放棄の嵐になるのではないかと、心から心配している。
あまりにもひどく、無責任な国の対応に、持たないものに対する国家の考えが透けて見え怖い!!


ユマニチュードって何よ?

ユマニチュードは、ケアをされる対象者さんと、一人の人間として向き合う事から生まれる認知症ケアです。実践すると、これまでコミュニケーションが上手くとれなかった対象者さんと、嘘のように円滑にコミュニケーションが取れるようになることから、魔法の認知症ケアと呼ばれています。

創始者はイブ・ジネストとロゼット・マレスコッティという2人のフランス人で、彼らの35年の体育教師としての考え方と経験から生まれた療法です。

ユマニチュードは“見る”、“話しかける”、“触れる”、“立つ”の4つの基本柱を組み合わせて行います。

“見る”は同じ目線の高さか相手より下から、約20㎝の近距離で優しく目を合わせます。
“話しかける”は、優しい声のトーンでケア中も常に声をかけ続けることです。
“触れる”は、包み込むように優しくゆっくりと触れることです。
“立つ”は、立位でケアするなど1日20分以上は立つ機会を持つことです。

この4本柱を基礎とした150を超えるユマニチュードの技術を取り入れることで、認知症の患者さんの不安や恐怖を和らげることができます。

「私も同じ価値ある人間なんだ」「大切にされているんだ」と感じることで、ケア者との信頼関係が強まります。その結果、無表情だった患者さんに笑顔が戻り、感謝の言葉を口にするなど、驚くべき変化が見られるのです。

ある介護老人保健施設でユマニチュードを取り入れた事例から見ていきましょう。

95歳女性Aさんは、日頃ほとんど言葉を発さず、立腹時にはブツブツ文句をいいながらテーブルをひどく叩いたり、ケア職員に爪を立てたり強い抵抗を示していました。
具体的には肌に触れられることで、触覚が刺激を受け、オキシトシンが血液中にも分泌されます。それが体内に広がることでストレスや不安を和らげるのです。また、脊髄にある痛みを脳に伝えるゲートを閉じる働きもあり、痛みを感じにくくさせることも分かっています。
そんなAさんに “見る”+“話しかける”を取り入れ、目線をあわせ優しく話しかけながら排せつ介助を行ったそうです。結果、言葉を発さなかったAさんは「はい」と返事をし「ありがとう」と笑顔で言葉を返したのです。
また別の施設では、介護を行うのに患者さんのお部屋を訪れるところからユマニチュードを取り入れています。
3回ノック→3秒返事を待つ→再び3回ノック→再び3秒待つ→1回ノック後入室という流れです。もちろん途中で患者さんから反応があればそこで入室しますが、大切なのは相手の反応を待つ、相手に準備時間を与えることです。結果、ケア者もケアがスムーズに行え、ありがとうの言葉をもらう機会が増えたといいます。
ケアを行う側からすると業務として当たり前に行っていることも、相手には不快なことがあります。しかしユマニチュードを取り入れ、相手の反応を見てから行うことで、自分の意思が尊重されたと感じ安心感を与えられるのです。

最後にユマニチュードを行う際の注意点をご紹介しましょう。

理解して行う

ユマニチュードは、ケアも人と人の間で行われるものであるという根本的なことに立ち返り、本質の考え方を理解した上で取り入れてこそ心が通じて相手が変わるのです。
技法だけを知り、やり方だけを真似するのは逆効果になります。目線を合わせていても、優しく触れていても、声色を穏やかにしていても、そこに本質の相手への気遣いがなければ見せかけだと感じさせてしまいます。
ユマニチュードは、ケアも人と人の間で行われるものであるという根本的なことに立ち返り、本質の考え方を理解した上で取り入れてこそ心が通じて相手が変わるのです。

乱暴に行わない

乱暴に扱われると、私たちでも大事にされていないと感じます。そこで、自分の子供に接するような気持ちで相手に触れてください。突然腕を掴んだり、無理に立たそうとするのは絶対に避けてください。
また、ユマニチュードの押し売りもよくありません。まずは“見る”の目線を合わせることから始めていき、患者さんの反応をしっかりと見てみてください。すぐに相手が変わらなくても、根気よく続けていくことで、凝りやがて心もほぐれてくることでしょう。

※参考:医療法人若草苑資料・公益財団法人かながわ福祉サービス振興会資料


終活って 正直あんまり考えたくないな でも、僕が死んだら一体いくらかかるんだろう?

終活って最近よく話を聞くけど、まだ直視したくない、そんな私自身の本音とは別に、健康診断で色々と引っかかったり、身内に 終活にまつわる事態が発生したりと、人が生きていると、いつ何が起こるか分からないと、最近よく考える事も・・・
そこで、突然、私がこの世からサヨナラしなければならなくなった時に、いったいいくら残しといたら、家族にに迷惑がかからないのか、そんなことを考えていた時に面白い記事が・・・・
(ちなみに、今サヨナラすると、多額の借金だけが残り、家族は大変だと思いますが・・・・・・・・・ハハ・・・・・・・)

写真・図版上記は朝日デジタルファーラムのアンケート

 団塊の世代が高齢化し、“多死社会”が本格化します。大切な家族が亡くなったら、どこに相談すればいいのか。葬儀の費用はいくらかかるのか。自分が眠る墓はどうするのか。お葬式やお墓への不安が尽きません。いずれ誰にもやってくる弔いのあり方について、みなさんとともに考えます。

寺との付き合い、断った

埼玉県の会社員の方からメールが届きました。寺との付き合いを断ち、家族だけのこぢんまりした葬儀を営んだと言います。詳しく聞いてみました。
きっかけは5年前、84歳で亡くなった父の葬儀でした。母は認知症で施設に入っていて、寺との付き合いは父任せでした。一人っ子の松本さんは親戚もほとんどなく、相談相手もいないなかで、葬儀社から祭壇や棺のランク、料理の人数などを次々に尋ねられました。僧侶への対応にも追われ、父の死に向きあう余裕がなかったと言います。
戒名料を含めたお布施はいくらか僧侶に聞くと「15万円から」と言われました。「から」が気になりましたが、15万円を払いました。葬儀社への支払いもあり、全部で50万円かかりました。1カ月後、友人の父が亡くなり、同じ僧侶でした。友人へはお布施として「35万円から」と求めたそうです。「お布施が不透明で、不信感が残りました」。四十九日法要は僧侶を呼ばず、家族だけで納骨しました。
昨年12月、90歳の母が施設で亡くなりました。インターネットで調べ、定額の葬儀を提供する業者に頼みました。06年に設立され、全国で使える葬儀場は約3500式場に上ります。葬式の件数は年々増え続け、16年度までに10万件以上を手がけました。僧侶のほかに葬儀社も紹介しています。
母の葬儀代は、僧侶へのお布施も含めて20万円。紹介された僧侶とは火葬場で初めて会い、火葬する前にお経をあげてもらい、3万円を渡して帰ってもらいました。火葬場では家族だけです。母に戒名はなく、四十九日法要もしません。
墓は父が生前に民間霊園にたてましたが、「子どもたちに墓守をさせたくない。墓や家にしばりつけたくない」とその墓を閉じる予定です。代わりに、業者に紹介してもらった永代供養墓に父母の遺骨を納めます。自分が亡くなれば海洋葬にして、海に遺骨をまく散骨をしてもらいたい。子どもたちにも伝えました。
家に仏壇はありません。部屋の棚の上に両親の写真を飾って線香を供え、食事中に話しかけています。松本さんは「遠くにあって、なかなか行けないお墓より、身近にある写真や大切なもののほうが追慕できると思います」と話しています。(岡田匠)

「お気持ち」明示する寺院も

お葬式にはいくらかかるのか。経済産業省の特定サービス産業動態統計調査から算出した2000年以降の葬儀1件当たりの平均費用は、140万7千~152万1千円の範囲で推移しています。特定サービス産業実態調査によると、14年の葬儀業者の年間売上高は推計1兆3700億円にのぼります。
15年に全日本冠婚葬祭互助協会がインターネットアンケートで「お布施を除いたお葬式の費用」を尋ねたところ、1990年までに営んだ葬儀では「51万~100万円」が最多でしたが、それ以降は「101万~150万円」が最多に。葬儀の参列者数はどの時期も「51~100人」が3割以上を占めて最も多いものの、「11年以降」で「30人以下」が急増し、2割を超えています。
故人らしさを意識した演出も増加の傾向が見られ、「葬儀・告別式で故人の思い出の品等を展示したり飾ったりしましたか」との問いに、「11年以降」で4割が「行った」と答えました。
また、16年度に互助協会が行った香典に関するアンケートによると、香典の額は故人が親類以外の場合は5千円と回答した人が最多で、「親」が10万円、「兄弟姉妹」が3万円、その他の親類が1万円でした。
近年、葬儀をめぐっては、さまざまな動きがあります。09年に流通大手のイオンが明朗会計や格安料金設定を売りに葬儀業界に参入。家族や近親者らで小規模に営む「家族葬」も人気が高まっています。演出も多様化し、自分の葬儀などの準備をする「終活」は、12年の「新語・流行語大賞」でトップ10入りしました。
僧侶との関係も変化しています。「お気持ち」とされていたお布施や戒名料を明示する寺院が現れ、16年には通販サイトのアマゾンを通じて申し込める僧侶の手配サービス「お坊さん便」に仏教界が反発、中止を要請したことが話題になりましたが、サービスはいまも継続しています。(田中聡子)

葬儀社ジャーナリストの碑文谷創さんは少なくとも江戸時代から太平洋戦争後の復興期まで、お葬式は地域共同体を中心に、慣習に従って行われていました。檀家(だんか)制度の影響を受けた仏式で、場所は自宅かお寺。それが一変したのは戦後の高度経済成長期です。地方から大都市周辺へと人口が集中した1960年ごろから、都市部の住民が葬祭業者へ「外注」して任せる動きが出てきました。地域共同体の弱化や寺離れなどもあり、80年代までに全国へ広がります。葬儀の会葬者数が増えてバブル期には平均300人に。うち7割が死者本人を直接知らず、遺族は弔いよりも会葬者に失礼がないよう気づかいました。
90年代に入ると葬儀会館が各地にできて、自宅や寺での葬式が消えていきます。地域も親戚も手を引き、寺は儀式執行のみ。家族を失って精神的に混迷した遺族は孤立し、葬祭業者を頼らざるを得なくなる。特に阪神・淡路大震災以降、葬式は「個人化」に大きくかじを切りました。
そのころまで9割を占めた仏式葬儀が最近は7~8割と減っています。寺と普段から関係があるのは都会で3割、地方でも5割程度。僧侶を呼ぶにしても派遣でいい、となる。小規模な「家族葬」が全体の3分の2を占めますが、最も簡素化志向が強いのは60、70代以上の高齢者。この世代は会葬者への気づかいで大変だった親の葬式での苦い経験を悔い、子に迷惑をかけたくないという人が多いんです。ただし家族葬には明確な定義がなく、喪主である子どもが死者のきょうだいや死者の長年の友人の参列を拒んだりするといった混乱も起きています。
80歳以上の高齢者の死が6割を超えたといっても、死は年齢を選びません。死にゆく本人はもちろん、家族にとっても死は常に事件であって、死別者の抱えるグリーフ(悲嘆)は依然、大きな問題です。しかし家族は大きく変容し、よく言えば多様化、バラバラになった。ひとり死も増え、悲しみが共有できなくなっています。お葬式が規範にがんじがらめの時代は終わりました。今こそ、生死の現実に向き合う時です。もう一度、人間関係の原点に立ち返り、自分、家族、そして親しい者たちの問題としてとらえ、選択してほしいと思います。(聞き手・高橋美佐子)

「もっと多様になっても」「家族葬に欠点」

家族を送った体験談やお葬式についての意見が、アンケートに寄せられています。

●「先週夫の父を、3年前に実父を送りました。高齢になり、付き合いも少なくなり親戚の少ない実父のときは身内数人の見送りでした。どちらも慌ただしくわからないまま葬儀社の方のアドバイスで葬儀をしました。事前に考えておくことも必要だったかもしれませんが、カタログを見ながらあっという間に用意ができるのはありがたい半面、何か買い物をしているような不思議な気持ちも少ししました。それでも、残った人が心置きなく送ったと思えることが大切だと思うのでこの形も悪くないかなと思ったりもします」(50代女性)

●「結婚式のように、葬式も時代に応じてもっと形式が多様になってもいいのかなと思う。故人やその家族の希望に応じたオーダーメイド形式の葬式が今後は増えてくるのではないか」(20代男性)

●「生花店経営者です。家族葬や直葬が増える中、故人の友人や昔なじみなどから『なぜ教えてくれなかった』とトラブルになることもあると聞きます。大掛かりな葬儀でなくても、伝えるべき方に配慮する必要はあると思います。過剰な飲食、香典返し、また寺院へのお布施など、金銭的な不安が本来行われるべき故人を悼む儀式を遠ざけています。生前の故人とのつながりから、そのことへの感謝、思い出と言った、人としての尊厳を大切にすることで、供養になるはずです。『お金がかかるのが怖い』『面倒なことは避けたい』。それは次世代への縁を断ち切ってしまうことになると思います」(40代男性)

●「一昨年父を亡くして実感したが、葬儀やその後の法要などは、故人のためだけでなく残された者が少しずつ死を受け入れてその後を生きていくために必要な行事でもあった。母から葬儀はいらないと言われているが、なにもしないことは考えられない」(30代女性)

●「昨年、母の葬式を出しました。危篤状態の時から葬儀屋さんと打ち合わせ。自分が考えていた『一日家族葬無宗教 お香典ご辞退』で済ますことができました。四十九日にお寺で戒名をいただき納骨しましたが、最後まで『相場』が謎。思い切ってご住職にうかがったら、想定の3分の1。聞いて良かったと思っています。日頃から考えておくことが大切です」(50代女性)

●「本人が望まない限りは、葬儀は必要ないと思います。お坊さんの収入源であるのは理解できますが、信仰心がない者にとっては無駄なお金でしかありません」(40代男性)

●「戒名料は結構高い。個人的に疑問に思うことは親から付けてもらっている名前があるのに、なぜ天国に行くのに戒名料が必要なのか理解できない。時代が変わってきているのに、おかしい。世の中の流れについて行くフットワークが必要だ」(60代女性)

●「長男の嫁です。義両親の際病気だったため、葬儀までもちろん看病がありましたので、葬儀を終えるにはかなりな体力を要しました。自宅に連れて帰り、仮通夜のようなこともしましたのでご近所の方々もいらっしゃり、通夜、本葬では義兄弟の連れ合いの親戚や勤める会社の方々も多数来られました。どさくさに紛れて国会議員の弔電披露もあり(怒)、本葬後ほうほうの体で帰宅直後、義兄弟から『誰からいくら香典をもらったか?』と電話があった時には虚無感だけでした。ゆっくりと義親を悼むことが出来たのはかなり後です。豪華にしたい人はお金と頼める人手が必要ですよ。普段から冗談でも流すBGMだけでも葬儀希望を家族に伝え、ノート記録残しをお勧めします」(50代女性)

●「家内の家では町内会が主導権を持ち全て進行。導師を4役にしたくても、あなたの家は7役にしなさいと指示をされる。私の町内会は喪主の希望を聴かれる。昔のしきたりを変えることの難しさを感じる」(70代男性)

●「葬式は祭りなのでにぎやかに」(50代男性)

●「確実に孤独死になると、覚悟しています。いくばくかの現金を封筒に入れて、目につくところに置いておくのが迷惑をかけない方法と思っています」(60代男性)

●身内で本人の生前の希望もあって直葬という形だったケースがあるのですが、あまりにもシンプル過ぎて、なんだか見送る気持ちの収まりがつかない感じがしました。だっていきなり火葬場で「最後のお別れ」だけなんですよ。それなりにいろんな思い出もあったので、関係のあった人たちで思い出を話したりする時間が欲しかったです。なので、自分の葬儀については家族の気の済むようにやってくれれば一番良いと思って、死亡時に一般的な葬儀代くらいは出る医療保険に入っています。自分の希望としては、ひとつだけ。エンバーミングできれいにしてもらって、「美人だった」という印象でお別れしたいです。(50代女性)●「家族葬でと近親者だけで行ったつもりだったが、後から他界を知った人が訪れ葬儀の終わりがダラダラと続いた感じがした。ある程度の範囲の人々に知らせれば告別式一度で済んだのかもしれない。わざわざ訪ねて下さった方に来なくてもよかったとも言えないし、これが家族葬の欠点かと感じた。訪れる方も家族葬と聞いたら葬儀後近くに弔問に訪れないのが先方に対する礼儀ではないかと思いました。家族葬を選ばれたのですから弔問に伺わなくとも礼を欠いた人とは思われないはずです」(60代男性)(全文引用朝日新聞)