忘れられない夜がある。
10年以上前の冬、首都圏にあるグループホームに泊まらせてもらった。玄関を入ると、「幸福の木」と書かれた観葉植物がホールにあった。ドラセナだ。ここで暮らす人生の大先輩たちに、「幸福、幸せ」について尋ねてみた。
アイさん(当時71歳)はしみじみと言った。
「そうねえ、子どもたちが元気でいることかしら」
そして、「だからぁ、お姉さんも病気してはだめよ」と私を気遣ってくれた。
前日、夜勤のスタッフに「殺してやる!」と叫んでいた声との差。こんなに穏やかなアイさんがいるんだ、と驚いた。
チエコさん(当時71歳)はシャキシャキとしていた。
「幸福? よく聞いてくださったわ。私、そういう話がしたかったのよ。私、幸せだなって、言ったことないと思う。私から遠い言葉。好きなことして生きてきましたけどね。幸福って、口に出すと、壊れるような気がするからかしら」
前日にあいさつしたとき、「ここで人生を終わりたくない」と言ったのが気になっていた。
施設長によるとアルツハイマー病で、介護保険の認定では要介護1。本人は自宅で一人暮らしを続けたかったが、きょうだいがこのグループホームをすすめたそうだ。
入居の日、玄関に「痴呆(ちほう)対応型生活介護施設」の看板がかかっているのがつらかった、と話してくれた。
「弟が私の家を売ってしまったからもう帰るところはないの。でも、病気の重い人やわけのわからない人と一緒に、このままここにいるのは耐えられませんよ。施設長と1回ちゃんと話さないとね」と嘆いた。
どんないきさつがあったのだろう。一度限りの人生なのに、本人の思いをもっと生かす支援ができないものか。
マキロップさんが感じた恐怖
当事者の思いの対極にある、その最たるものは、意に反した精神科病棟への入院だと私は思う。
2015年11月、認知症当事者による活動の先駆者として、「スコットランド認知症ワーキンググループ」の初代議長、ジェームズ・マキロップさん(当時74歳)が来日した。その講演でマキロップさんが明かした「精神科病院の情景」に胸をつかれた。
「1999年に認知症と診断されたときは、雷に打たれたように感じました。以前、大きな精神科病院に会計監査の仕事で関わり、たくさんの認知症の人を見て恐怖が目に焼きついていましたから。彼らは絶望しきって失禁したり、家族を求めて泣き叫んだりしていました。自分もそのような姿になってしまうのかと思うと、私の胸を恐怖が突き刺しました。幸い、その後、2人の支援者との出会いが私の人生を大きく変えました」
この話から、2013年1月に世界6カ国の認知症政策の責任者が東京に集まった「認知症国家戦略に関する国際シンポジウム」を思い出した。日本以外の5カ国(英国、フランス、オーストラリア、デンマーク、オランダ)では、精神科病院への入院はほとんどないか、ごくわずかだという。各国に共通する対策は、認知症の当事者の声を聴き、その人らしい人生を支えることを重視し、診断後は医療ではなく「ケア」に引き継ぐことだった。
一方、日本で精神病床に入院している認知症の人は、11年に5・3万人で、1996年の2・8万人から倍増した(厚生労働省「患者調査」から)。
いったん入院するとなかなか退院できず、「社会的入院」を生み出す原因になっている。「社会的入院」とは、医学的には入院の必要がなく、在宅での療養が可能であるにもかかわらず、家庭の事情や、地域の支援体制の不備といった「社会的な理由」により、病院で生活をしている状態のことだ。
また、厚労省の別の調査(精神保健福祉資料)によると、精神科の病院で自由を制限する「身体拘束」をされた患者数は14年に1万人超。過去最多だったという。
そもそも病院は生活の場ではない。診断後、必要なら外来で通院するのが先進国の常識だ。この違いの背景には、日本の精神病床の多さがある。
日本国内にある全病床のうち、およそ2割の約34万床が精神病床だ〈厚労省「平成27年(2015)医療施設(動態)調査・病院報告の概況」から〉。また、OECD(経済協力開発機構)加盟国の精神病床数は、平均で10万人当たり68床だが、日本は269床に上る(OECD報告書「Making Mental Health Count 人口10万人当たりの精神病床数、2011年または至近年」から)。
OECDに加盟する他の国々の精神病床数は1970年代以降減っているが、日本は高止まりしている。
注目された発言
認知症と診断された当事者の発言はいろいろな場面で注目されてきた。15年の日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞の書籍部門は、2人の当事者が受賞した。佐藤雅彦さん(「認知症になった私が伝えたいこと」大月書店)と、樋口直美さん(「私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活」ブックマン社)だ。
30代から幻視を見たという樋口さんは、41歳でうつ病と誤診された後、13年に50歳でレビー小体型認知症と診断されるまでの6年余りを、薬物治療の重い副作用に苦しんだ。
医師から「レビー小体型認知症」と告げられ、進行を遅らせるためにできることはないと言われた。一時は真剣に自殺を考えたという。その後、信頼できる医師や仲間と出会った。進行を食い止められているが、嗅覚(きゅうかく)や時間の感覚をほぼ失い、自律神経障害なども抱えている。
「認知症を巡る問題のほとんどは人災」と語る樋口さん。16年春、「福祉と医療・現場と政策の新たなえにしを結ぶ会」のシンポジウム「認知症になっても精神病院に入れないで!」に登壇した。
若年認知症と診断されて入院させられた友人の悲痛な体験を紹介し、「医師のみなさんにはぜひ精神科の体験入院をしていただきたい」と提案。「医学部時代に1回、その後10年おきに研修として1週間、医師の肩書を伏せて本当の患者として遠方に入院する。本人になって体験してみない限り、絶対にわからないことがたくさんあります」と呼びかけた。
佐藤雅彦さんはフェイスブックに書き込んだ。
「皆さま、精神症状、BPSDを示す認知症になっても、精神病院に入院しても、認知症の精神症状はよくなりません。えにしの会第2部動画(https://www.youtube.com/watch?v=TkqcF6NHhbo&feature=youtu.be)を見て学習してください。認知症になっても、精神病院に入院しない運動に協力してください」
私は、樋口さんたちの声を、今はもう語れなくなった人たち、無念のうちに亡くなった人たちの代弁だと思って胸に刻んでいる。
さて、スコットランドのマキロップさんを恐怖に陥れた精神科病院はその後どうなったのか。記者会見で彼が答えた。
「多くが閉鎖されました。たくさんの人が地域で暮らせるとわかったからです。認知症の人が地域で暮らせるシステムが、本人にとっても社会的な費用の面でも理にかなっていることを、行政や政治も納得したのです」
日本の当事者がこう答えるのはいつのことだろうか。
(次回は11月20日に配信の予定です)(生井久美子)全文引用 朝日新聞