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認知症になって 医師・長谷川和夫さんへのインタビュー

かつて、「痴呆(ちほう)」と呼ばれて偏見が強かった認知症と、私たちはどう向き合えばいいのか。長谷川和夫さんは半世紀にわたり、専門医として診断の普及などに努めながら、「認知症になっても心は生きている」と、安心して暮らせる社会をめざしてきた。89歳の今、自身もその一人だと公表し、老いという旅路を歩んでいる。

――自身の認知症を疑ったきっかけは、どんなことでしたか。

「これはおかしい、と気づいたのは1年くらい前かな。自分が体験したことに、確かさがなくなった。たとえば、散歩に出かけ、『かぎを閉め忘れたんじゃないか』と、いっぺん確かめに戻る。確かに大丈夫だ。普通はそれでおしまい。でも、その確認したことがはっきりしない。そして、また戻ることもあって」

――昨年11月に病院に行き、診断を受けたそうですね。

「弟子が院長をしている専門病院に、家内と行ったんだ。MRIや心理テストを受けたら『嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症』っていう診断がついた。物忘れ以上のものを自覚していたから、あー、やっぱり、と。戸惑いはなかった」

――初めて聞く名前です。

「このタイプは物忘れや頑固になるといった症状が出るが、進行は遅い。昔より多少イライラする頻度が増えたかな」

「認知症になるリスクは、年を重ねるごとに高まる。長寿化に伴って、僕のように80歳、90歳を過ぎてからなる人は増えていく。これを『晩発性認知症』という、一つのカテゴリーだと唱えている。100歳でも全然ならないピカピカの人もいると思うんだ。それはエリートだな、ごくわずかの」

――公表することに、ためらいや迷いはなかったですか。

「いやいや。僕が専門医であることは知られていて、その僕が告白して講演などで体験を伝えれば、普通に生活しているとわかってもらえる。認知症は暮らしの障害で、暮らしがうまくいくかどうかがいちばん大事。僕の話から多くの人が理解してくれれば、認知症の人の環境にもプラスになる」

――今は、1日をどのように過ごしていますか。

「朝6時半ごろに起きて、朝昼晩の食事。その間に散歩したり、図書館や近所のコーヒー店に行ったりする。今日が何月何日なのか、時間がどれくらい経過したかがはっきりしないけれど、不便だと感じることはあまりない。夫婦2人だけの生活で、やるべきことは毎日ほぼ同じだからね」

――医師として働いていたときには思いもしなかった発見は、何かありますか。

「『デイサービスに行った方がいいですよ』と患者さんに言っていたのに、今度は自分が行くことになった。昨年6月に転んで骨折してから週1回通っているが、学ぶことが多いね。午前中に入浴があって、スタッフが体を洗ってお風呂に入れてくれる。いかにスタッフが訓練を受けて、一人ひとりの利用者の情報を持っているかがケアでは大事なのか、その言葉やしぐさからわかる。自分の体を通して、勉強している」

――振り返って、患者さんに「ああしておけば良かった」という思いはありますか。

「ある男性の診察をひと通り終えたとき、僕に一つ聞きたいと言ってきたことがある。『先生、どうして私は認知症になったんですか。他の人ではなく、どうして私なのでしょうか』。切羽詰まった感じで、何と答えたらいいか、わからなかった。何も答えられなくて、その人の手を握って。目を見つめて、そうだよね、と言った。今はより、彼の気持ちが、あの質問の思いがわかる。それでも同じことしかできないと思う。だって、神様ではないから。答えなんて、わからないよ」

――現役時代に開発した、九つの質問で測る簡易診断テストの「長谷川式認知症スケール」=キーワード=は、広く臨床の場で用いられてきました。

「元々は、てんかんの診療をしていたが、1960年代に東京都内の老人ホームの利用者を対象にした健康調査を任され、初めて認知症の人の診断をした。上司から、誰が調べても診断が一致するような『ものさし』をつくりなさい、と言われて考えた」

――誰が検査しても、ほぼ同じような診断結果が出るのが、特徴です。

「困ったな、と思うこともある。安易に使われすぎて、本人の気持ちを考えずに検査をする医者がいる。質問で『お年はいくつですか』と、のっけから大事な個人情報を聞く。それからいい大人に『100から7を引くと、いくつですか』とも尋ねる。『冗談じゃない、何を言っているんだ』と怒るのは当然でしょう。診察に必要だからと、医者の側が本人と家族に協力をお願いする姿勢が、必要なんだ」

――介護保険制度が始まる20年近く前に、認知症の人が集まって日中を過ごす「デイケア」も始めました。当時は画期的な取り組みでした。

「やむを得ず取った策とも言える。長谷川式を発表したこともあって、多くの患者さんが外来に集まってくるようになった。本人も家族も、色々と聞きたい。たとえば『もう80歳を超えていますから、田舎に帰って1泊か2泊して、近所の人に会って別れを告げてきたい。でも、環境が変わると症状がひどくなるという話もありますけれど、大丈夫でしょうか』と。大勢がひしめくなかで、そんな長い話をしたら大変でしょう」

「これは困ると思って、看護師にデイケアをやってみようと思う、と相談したら、二つ返事で引き受けてくれた。外来の延長線上でデイケアを始めた。歌を歌ったり、ゲームや座談会をしたり。その様子を、一方からだけ見える鏡を使って、隣の部屋から家族に見てもらうこともできた」

――医師として認知症にかかわり始めてから、50年が過ぎました。「痴呆」の名称変更を要望し、国に働きかけましたね。

「2004年まで、『痴呆』と呼ばれていた。差別的な表現で、何もわからなくなる、というイメージでとらえられてしまう。痴呆になるのは恥ずかしいことだという偏見から、早期発見や診断を妨げている原因にもなっていた。昔、調査で首都圏の郊外に行ったら、納屋のような所に隔離されていた人を目の当たりにした。かぎもかけられ、隣は馬小屋だった。隠す存在という、ひどい時代もあった」

――社会は、変わりましたか。

「まだまだ不十分だけれども、10~20年前に比べたら知識は著しく広がった。『認知症の人と家族の会』の功績は大きい。国に対して提言する力を持つようになった。全国に支部があり、国や地方自治体に声を上げているから、もう無視できない」

――「認知症になっても心は生きている」と言い続けてきましたね。「心は生きている」とは、どういうことでしょうか。

「『特別な病気になった何にもわからない人、だからなんとかしてあげないとかわいそうだ』。それは、だめだよ。自分と同じ『人』だということ。根本的な治療がないのは知っているが、それ以上のことは多くの人が知らない。なんていうのかな、周囲は本人に尋ねることはしても、本当にその人の話を聞いていることは少ないように思う。確かに、できないことは増えていくけれど」

「何も話さなくなるかもしれない。ご飯を食べなかったり、暴れたりするかもしれない。その時も『大丈夫よ』と言って、その人が好きなものを尊重する。同じ目線の高さになって、ね。得意なことを生かして、その人に役割を持たせることも大事。人という漢字は、人と人が支え合ってできている。それが『パーソン・センタード・ケア』だ」

――当事者や家族が暮らしやすい社会とは、どんな社会ですか。

「観念的になるかもしれないけれど、ぬくもりや人と人との絆がある社会。たとえば、おいしい梨が届いたら、隣近所に分ける。今度は、うちに柿が届いたからあげましょう、といった交流があるような。少しずつでもいいから、広がっていけばいいね」

「一気にバラ色をつくるのは難しい。一人ひとりに考えが染み渡り、努力してつくるより道はない。まじめに、地味に、やっていく。それは僕も心がけている」

――でも、診断を受け入れられない人もいるのでは。

「希望は捨てない。今は暗く、つらいかもしれないけれど、明日は明るくなる。そう念願して欲しい。当事者からの発信も、最近は増えている。本人が発信することで、『隠すことはない』『年を取ったら誰でもなるんだな』と皆が考えるようになれば、社会の認識は変わる」

――これから、どう生きていこうと考えていますか。

「人生の色々なことを体験して、最後の段階に来た。老いることは、死に近づいてきたこと。この世に生きている間は、講演に限らず、自分ができて、他の人の役に立つことをやり続けていきたい」

全文引用朝日新聞デジタル


またあした栗東 NOW

ほぼ工事は終了しています。後は、扉を取り付け、清掃が入るのみとなりました。

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メインのデイルーム、道路沿いの窓には、ミラーカーテンが取り付けられます。

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同じデイルームから和室の方に向かって、左端が玄関、真ん中が事務所、小上がりの和室
和室については、設計途中からリスクを含めかなり議論があったのですが、正直、実際利用してみないと、どうなるか分からない部分は残っています。

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手前が、口腔ケア専用の洗面、またあしたでは、口腔ケアに力を入れることで、ご利用者様の、生命・生活のクオリティーが目に見えて改善することを実感してきました。そこで、新しい施設では、よりスタッフが効果的にケアできるよう、このような設備を設置しました。まだ、鏡は設置されていませんが、ご利用者様が座った状態で、ご自身で口腔内の確認が出来る高さに設置されます。

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トイレは4か所、内 介助用トイレは2か所写真のトイレは右は自立の方用、左の極端に狭いのは、主にスタッフ用(スタッフに割ける面積は少ないです・すいません)

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お風呂です。左が一般浴。右がチェア浴(セキスイ)です。
1日に最大稼働できるのは、18名が限界でしょうか?
個浴対応で、声掛けを行い、ご本人の能力をお使いいただくには、どうしても、ある程度の時間が必要になり、どれだけ効率的にサービスを提供しても、おひとり30分は必要になります。
今回の施設では、ユーティリティーホール内に整容を行うための場所を設置し、効率と丁寧なケアの両立を図りたいと思っていますが、思惑とうり動くかどうかは、スタッフのスキルもかなり要求されるような気がします。

内覧会は2月28日に開催します。まだ何もない、ガラーンとした施設を見ていただくことになるのですが、様々な失敗の中で学んだことを、形にし、おそらく、十分ではないですが、今の『またあした』の精一杯を表現した施設にはなっていると思います。

多くの皆様のご利用がいただけるよう、これから、この施設に関わるスタッフとともに、命を吹きいれる事になります。
前途多難ではあるな・・・・・・


『またあした』との正しい付き合い方について、関わっている皆さん、関わって下さろうとしている皆さんへ

2月上旬に求人を行い、ほぼ採用活動はひと段落はつきました。
看護師さんいついては、2名、仲間が増え、介護職については1名、参加してくれました。この人手不足の中、本当にありがたいです。

今回の、『またあした』のプロジェクトは、一つの事業所を閉鎖し、新たな事業所を開設するもので、栗東事業所開設当初は、法人全体で60名以上になった現行スタッフで稼働させていくのですが、正常に、事業所を稼働させていくためには、スタッフの増員が、今後どうしても、必要となります。

ゆえに、 またまだ、スタッフは欲しい、そこで、『またあした』との正しいお付き合いの方法について少し・・今体験していることを・・

介護保険制度は、事業者にとって、年々運営は厳しくなってきています。ただ、私自身は、まだやりようによって、十分にやっていける余地はあると考えています。(甘くはないですが)
この厳しい状況のなかで、どれだけ楽しめるか・・・・忙しさや・目先の運営の苦しさに追いまくられると、ついつい、楽しむことを忘れがちになりますが、そういった気持ちを忘れられない、仲間たちが、ここに残っています。(もしかしたら一部か? おまけに 結構みんな苦しんではいますが)

ぜひ、この『苦しくて楽しい』を経験してみませんか?
またあしたではあまり指示を出されることはありません、常に、自分で考え、問題解決をしていくことを求められます。とても面倒で、しんどい作業です。
それでも、自分で考え行ったことは、その思考経路を含め、全て納得できます。間違があれば、修正すればいいだけの話です。(業務上、修正の効かない、深刻な間違いが起こる可能性はやはりありますし、ヒューマンエラーを完全に排除することには高いハードルがあります。)

その上で、何がやりたいのか、そのために何が必要か、どう行動すればいいのかを見定め、前に一歩、ゆっくりと進んでいく、そんな法人でありたいと考えています。

たった、一度の、人生の時間です。
『日々七転八倒・回りは高い壁だらけ・でもそんなもんでしょう・・・と・・・そこを、楽しむ』
それが、『またあした』との付き合い方のような気がします。