加藤忠相さん。飾らない人である。でも今や介護業界で最も注目される人物の一人だ。講演依頼がひきもきらない。自身の施設が、介護をテーマにした映画「ケアニン」のモデルにもなった。神奈川県藤沢市で、小規模な介護施設四つを運営する「あおいけあ」を率いる。といっても「施設」という感じはしない。床やテーブルに無垢(むく)材を使い、家具の形もバラバラ。雑然とした感じが逆に、安心感を生む。スタッフの赤ちゃんもいて、利用者が世話をする。まるで大家族のようだ。約60人の利用者の多くは認知症。でも常に動いている。「『介護される存在』ではなく『地域の社会資源』として、それぞれの強みを引き出す」という方針で、ケアしているからだ。
たとえば、静岡・網代出身の80代の女性が「昔はよくアジをさばいたのよ」と言えば、彼女が主役の「アジ・パーティー」に結びついていく。
スタッフに、マニュアルや時間割はない。利用者の思いに添った企画に知恵を絞る。「スタッフが自由に考えられる環境を整えるのが僕の役割です」
徳川家の旗本20代目の由緒ある家に生まれた。「あおいけあ」の名前もそこから来ている。だがこれまでは決して、順風満帆ではなかった。
小中学生のころ、いじめにあった。教師からも認められず、居場所がなかった。祖父が経営する保育園を継ぐため福祉系大学に入ったが、卒業して戻ると、祖父の死去で経営権が別の親族に移っていた。放心状態が続いた。
花屋などでアルバイトをした後、横浜市内の特別養護老人ホームに就職。だがそこは、想像した世界とは全く違った。スタッフはマニュアルでガチガチに管理されていたのだ。
「人間的なケアをしたい」
3年間勤めた後の25歳のとき、銀行に借金をして妻の律子さん(48)らと、あおいけあの前身をつくった。利用者が集まらず、危機に瀕(ひん)した時期もあったが、徐々に血の通ったケアが評判になり、2012年、かながわ福祉サービス大賞を受賞した。
あおいけあは、地域に溶け込んでいる。塀はなく、近所の子どもや大人が通り抜け、言葉を交わす。イベントを開放し、利用者が作ったお菓子や編み物を販売。昨年には、レストランとカフェが施設内にできた。
施設やレストランでは、不登校の経験や発達障害がある人も働く。
「僕自身いじめを経験し、高校の吹奏楽部の先生に認められてようやく、居場所を見つけられた。どんな人も排除したくない。そんな温かい居場所が当たり前になっていけばうれしい」
(文・佐藤陽 写真・越田省吾 全文引用 朝日新聞