「病院・施設から地域・在宅へ」政府の社会保障制度改革国民会議が打ち出した新な方針だ。これは、これまで何度も言われてきたことだが、高コストの介護施設の増加に歯止めをかけ、自宅にいたまま世話を受ける『在宅型』に介護サービスの中心を移行する思惑だ。当然これは、急激な高齢者人口の増加と、それに伴う介護ニーズの需要の増加に備え、今以上の財政負担の膨張を最大限に防ぎたい思惑がある。
現在、特養1人あたりに係るコストは『在宅型』の3倍になると試算されている。そのため、今後の介護ニーズ、特に施設ニーズにこたえるために、従来の高コストの特養ではなく、在宅型のカテゴリーに入る、ケア付き住宅の整備を図ることで、低コストで、社会のニーズにこたえる、最低限の整備を行いたい意向のようだ。
その上で問題になるのが、各自治体が、こういった種類の住宅が増えることで、介護の必要な高齢者人口が増え、社会保障コストが増え、財政悪化が進みかねないことで、住宅の建築許可に消極的になっていることで、政府の思惑通り、整備が進まない現状があることだった。そのことを解決するために、政府が新しく出した指針のなかで示していることは、ケア付き住宅などに引っ越す人の介護・医療費用を転居前の自治体が特例として負担するというものだ。例えば、東京都に住んでいた要介護の方が、滋賀県に引っ越してきた場合は、その方の医療介護費用は、前の住所の東京都の市区町村が負担するというものだ。まさに奇策、
ただ、この議論の中では根本的なことが抜け落ちているように思う。特養であれ、ケア付き住宅であれ、そこが、人生最後の終の棲家になる方が多いということである。確かに、ケア付き住宅であれば、ある意味、単なる高齢者向けの賃貸住宅の契約で。そこに、ケアを外付けするというもので、整備のために税金をつぎ込む必要もなく、高齢者介護のスキルがなくてもお金さえ用意できれば、誰でも手軽に参入できる状態が作れる。それこそ、政府が目指している物なのかもしれないが、いっぽうで、数の整備だけが独り歩きし、そこに人が住み・人生の時が流れていることを置き忘れているような議論になっているのではないか? もし、そうであれば残念だ。
確かに量は必要で、今回の政府の方針が、正しいものかどうかは多くの国民がその方針を受け入れるのであれば、その功罪は歴史にその判断をゆだねるしかないと思う。ただ、議論の中に、人がどんな最後を送るのが理想なのか、そのことイメージできる部分は一切なかった、終の棲家も、その人の資力によってグレードが変わり、人生の最後も持つものと持たざる者で大きな違いが生じるかもしれない、ただし、豪華な最上階の海が見える温泉付きの部屋で、一人で・・・・ていうこともあるかもしれないが・・・
どちらにしても、今進められている議論が、自分自身の終の棲家がどうなるのかという議論に直結しており、当事者意識を持って、必要な意見を述べて行く必要があるのではないだろうか。