入院時の定額払いについて考えてみる。

2014年4月より、厚生労働省は、入院医療費の支払いについて、そのルールを見直した。同省は、現行の支払制度では、入院が割高になりがちで、新しい制度を導入することで、患者負担を抑えながら、膨張し続ける医療費に歯止めをかけたいとの狙いがあるようだ。
さて、このことを考える前に、医療にかかる全体の費用について少し、確認しておく必要がある。
 診療報酬には、検査や投薬などをやればやるほど儲かる「出来高払い」に対し、今回の削減対象になっている「包括(定額)払い」がある。こちらの仕組みは、必要な診療をカットすればするほど儲かり、全国7500の一般病院のうち1600の医療期間が包括払いを選択している。
実はこの支払方法、その病院が持つ病床数と大きな関係がある。医療法1条の5 では20床以上の病床を持つものを病院と定義しそれ以下の物を診療所と定義している。前述の診療報酬も、この定義に従い支払われることになり、同じ入院でも、20床以上の病院は包括報酬、19床以下の診療所は出来高報酬となり、経営的には、どちらがより儲かるのかというような議論がなされることになる。
  また、統計的にも「クリニック」とも呼ばれる診療所は個人開業が多く、「病院」に勤務している医師よりも高い年収を得ている傾向がある。
 当然、多くの医師が、より多くの報酬を売る可能性がある、開業医を目指すというのは、ごく自然な選択で、いま、さかんに問題提起されている医師不足とについても、実は、医師総数の不足が問題になっているのではなく、病院で勤務する勤務医不足のことが問題になっていると解釈すべきではないかと考える。
包括払い、と出来高払いに話を戻す。医療のサービスが実際に行われるときに、その最終的な価格決定権は誰にあるかを考えると、おそらく、多くの方は、当然医療を受ける、患者側にその医療を選択する権利があり、そのことで、最終な価格決定がされる、と考えがちであるが、実際はそう簡単ではない。医療サービスは、一般のサービスと違い、サービスの提供側とそれを受ける側には大きな情報格差がある。これは、たとえば手術を受ける際、どのような術式が最適なのか、ほとんど患者側に情報がなく、最終的には、医師の判断によることがほとんどである事、また、医師自身も、その技術や、倫理観、あるいは経験などに差があり、どの医療機関であっても同じ水準の医療が受けられるとは限らない、つまり、大幅な情報格差の上で、かりに、インフォームドコンセントがあったとしても、大きな医師の裁量権の元、医療サービスが提供されることとなる。

 

これは手術も同じ。患者の状態を”神様”のように把握できるわけではないので、「医療には限界がある」といわれる。医師によって手技や考え方、倫理感が違うので、すべての患者に同じ医療サービスが提供されるとは限らない。しかし、患者よりも医療に関する経験や知識で上回っていることが多いので、医師には大きな裁量権が与えられている。
さてこういった大幅な裁量権の中で、私たち患者側は、性善説に基づき、医療機関は、患者に最善のサービスを提供するはずだ、と考える。あるいは考えたいのかもしれないが・・・・・実際は、そうはなっていいない。
 医師の診療方針を大きく左右する、もう一つの大きな要因、それは「ちらの治療方法が増収になるか」という経営判断である。
 例えば、ある病気で手術して入院したら1日5万円という価格を設定したら、やらなくてもいい医療サービスをできるだけ控え、必要なサービスだけを提供するという判断が働く。つまり、包括(定額)払いは、「過少医療」の危険をはらむ。逆に、「出来高払い」では不必要でない限り、できるだけ多くの医療サービスを提供する傾向が生まれ、「金儲けのために”薬漬け”にする」などと批判されるケースも起こり得る。つまり、出来高払いは「過剰医療」の危険がある。
さて、こういった、現状認識のもで、今回の定額払いの基準厳格化をみる。定額払いは、手術料など出来高払いの部分を除き、入院直後の料金が高く、入院期間が長くなると安くなる仕組みになっていた。そのため、以前のルールでは、3日を超えると入院直後の料金からやり直すという仕組みを利用して、患者を一度退院させ、新たな病名で再入院させる(同じ病名では再入院が認められないため)事例が多発した。そこで、今回の改正では、再入院までの期間を7日間開けることとし、7日間に満たない場合は、それ以前の入院が続いているとみなし、料金請求を認めないことと、症状についても、500を超える症状で再入院を認めていた物を18分野にしぼり、病院の意図的な病名の書き換えを防ぐこととした。
今回の改正、確かに、こういった、意図的な病名の書き換えや、入退院を繰り返す状態がある事は、周知の事実で、そのことが、今回のルール改正で、適正な方向に変わったことは、評価できるのかもしれない。一方、利用者側の立場でいうと、在宅での医療サービスの構築が不十分のもままで、行われることは、結局、多くの患者や、介護者家族に重い負担を負わせることになるという事実は、避けようもない。また、医療費全体についても、出来高払いについての見直しが不十分のまま、一方の包括払いだけが、先行して、手が付けられたことは、医療も介護もふくめ、国の、医療も介護も、在宅での行い、よりコストを抑え、増え続ける医療介護ニーズに備えていくという姿勢が露骨に表れている。
国が考えている以上に、地域が崩壊し、個で生きる社会となった今、本当に安心して生き抜くことが出来る新しい社会の姿を、この国の政治、官僚は提示できていない。私たちは、どこに漂流すればいいのだろう・・・