介護の仕事を選ぶということ

30代半ばら介護に関係のある職に就き、もう15年が過ぎた
その間にも『介護』という言葉のイメージは大きく変わったように感じる。
『当初言われた、介護の社会化』という言葉は、今は死語のようになりほとんど聞かれなくなった。聞かれなくなったからと言って、本当に介護の社会化が進んだのかどうなのか、だれが正確な検証しているのだろう、私にはその答えは見当たらない。
一方、今表れている風潮は『介護の社会化』が、当然の権利であると考え、その権利を行使しようとする人が、急激に増えているのではないか、ということである。
社会制度として、介護保険制度がある以上、納税の義務を果たしてきた国民が、当然の権利として、制度を利用する事には何ら問題はない。ただ、その権利の保護の範囲の主張に、現実とのかい離が生まれたときに、少なからず。なにがしかの波風が立つことになるということである。

介護の仕事に向き合う、多くのスタッフは、この『波風』に、日々翻弄されることになる。そういったことも、すべて含めニーズととらえ、従事者は介護の仕事に向き合うのだが、時に、発生するニーズが自分の心を飛び越えることがある。
そういった場合どうするか?
ニーズに目を向けることをあきらめ心を閉ざすか、
介護という仕事を選んだ自らの不覚を思い知るか、
ニーズを、なんとかとらえ理解しようと研鑽を励もうとするか、
異次元なニーズとしてニーズ自体を断ずるか、
心のバランスを保つため、様々な葛藤を行うことになるのだが、もし、それも、難しくなると、介護の仕事を続けること自体をやめてしまうとという選択も見えてきたりする
15年前何も分からず介護の仕事を始めたころ。
『これからは介護の時代だ・大変な仕事だが人の役に立つ』
介護の仕事に就くことは、社会的なニーズの高まりを受け、胸を張っていい仕事を選んだ、といえる時代だったような気がする。(もしかしたら、当時から世間知らずの無知だったのかもしれないが)
今はどうか、サービス供給量の増加や、急激なニーズの増加がある一方、社会の中でも、最底辺の仕事として、最も選ばれない仕事になってしまっている。
現状を変えるのは、そう簡単ではなさそうだ、
外国の労働者を介護分野に積極的に受け入れていこうということも現実味を帯びてくる。ただ、低賃金で重労働、だれも選ばない仕事だから労働力を受け入れる必要があるということであるのなら、いま、介護の仕事に関わる物として、より深刻に考えなければならない。
介護の仕事が、選ばれるべき、輝かしい職種で、この職種を選ぶjことで、また。真剣に取り組むことで、すばらしい将来が開ける可能性がある。そう理解してもらえるような努力を、いま。介護に携わり、そのことで、利益を得ている人たちは、真剣に取り組む必要がある。
そうでなければ、こんな仕事としての満足が得られる介護という職種が専門職として認知されず、社会から評価されない現実は、あまりにも残念すぎる。